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【考察】『かくしごと』~飽和した日常系に新たな風を吹きこむか~ 後編

※注意※ こちらは後編です。より詳しく知りたい方は、是非前編をご覧ください。

yururiyuruyuru.hatenablog.jp 

 前編では、日常系の違和感について説明した。

  『かくしごと』は、娘・姫(ひめ)に自身が漫画家であることを隠す可久士(かくし)の話だ。前回に引き続き、今回もこの作品の特性をまとめた。

 

 極力ネタバレは控えますが、未視聴の方はご注意ください。

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出典: https://kakushigoto-anime.com

 

公私の視点で見るアニメ

 このアニメは、父親としての可久士を中心に描かれているが、漫画家としての可久士という側面も持ち合わせている。だが、仕事系のアニメは数多く、漫画家に焦点を当てた『バクマン。』、さらに職種の範囲を広げれば、『NEW GAME!』や『WORKING!!』等が例として挙げられる。

 

 しかし、かくしごと』の本質は漫画家という仕事ではない。漫画家という職業は単に付随したものにすぎず、本質はやはり家庭なのだ。その点でこれらの作品との差別化は可能であり、ジャンルすらも違ってくるかもしれない。

 なので、今回私は「」・家庭に着目して、日常系のと比較し、まとめていこうと思う。 

 

父親という新たな視点

 前編でも述べた通り『かくしごと』はどこか「日常系らしくない日常系」なのだ。

 まず、本作は日常系に分類して差し支えないだろう。ストーリーよりキャラが中心であるし、dアニメストアではギャグとしていたが、(少なくとも私は)「滑稽さ」より「癒し」を求めた。

 では、本作は他の日常系作品とどこが違うのだろうか。

 これは主題が家庭家族であり、中高生という溢れかえった設定とは似て非なるものだ。

 さらに、これだけでない。日常系では往々にして、現実に即したイベントが起こり、この作品も例外ではない。しかし、父親・可久士の視点で、頑張る娘を見守るという構図であり、これまた他の日常系と一線を画す。

  日常系の新味のなさは、視点の違いで解消できるのかもしれない。

 

会話で構築される信頼関係

 前編で、私は「コミュニケーションが自己目的化している」と述べた。本来、コミュニケーションは他者と関係を築くための手段にすぎないのだが、日常系とはこの関係が逆転し、関係ありきのコミュニケーションとなってしまっている。

 一方で、『かくしごと』はその日常系の特性を打破している。親子の近くて遠い関係性は多かれ少なかれ現実でも同じはずだ。仕事と家庭の両立に奮闘する父、それを心配する娘。しかし、彼らは本質的に理解し合うことはない。

 完璧な親子関係は存在しない。二人の微妙なすれ違いや共感を、会話を通じて絶妙に描くことで、二人の親子関係はより深いものになっている。これこそ、本来のコミュニケーションのあるべき姿なのではないだろうか。

 

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着眼点の相違

 前と似たようなものになるが、子どもには独特の感性があり、これを大人が理解するのは困難だ。だからこそ会話は必要であり、それによって子どもの感性を少しでも理解することができる。

 本作でも可久士は娘の姫ちゃんを溺愛するも、彼女に完全な理解を示せていない。そして時には娘の感性に驚き、感心する。このやりとりもまた、二人の関係を深めるものになるだろう。

 

風景に溶け込む人間

 本作の表現の特徴は、氷菓』や新海誠氏の作品のそれと似ていると感じられた。

 というのも、加藤幹郎氏曰く「主体と風景はあくまでも切り離しえないものとして一体論的に創造されるのが新海誠のアニメーションの特徴である」としている。アニメを含む多くの映像作品は登場人物を中心としており、風景は無視される傾向にある一方で、新海氏の作品はこの二つを一体化している。

 つまり、これは私が勝手に定義した言葉であるが、多くのアニメの表現は「風景から浮き出る人間」であるのに対し、新海氏の作品の表現は「風景に溶け込む人間」のような特徴がある。

 しかし、この表現方法をとっているのは新海氏だけではない。例えば『氷菓』もその一つだ。とはいえ、この表現方法を用いているのは稀であり、多くの作品は風景と人間を分離する。しかし、この『かくしごと』、キャラを主体にした日常系であるのにも関わらず、特に序盤・終盤での鎌倉の情景描写は、この特徴と似ているようだ。

  電車に乗り、坂道を登り、一つの家を訪ねた姫ちゃんは、そこで父のかくしごとを知る。真実を知った彼女はその家の中を見回り、寄せては返す波のように、彼女の心は移ろいゆく。

 彼女は、風景とともにある。

 美しき鎌倉。ぜひ一度、行ってみたい。

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七里ヶ浜の坂道と江ノ電

出典: https://www.trip-kamakura.com/feature/4106.html

 

まとめ

 この作品を通して見ても、親子二人の会話や空気感を消費しているという点で、日常系という定義もやはり間違っていないのではないか、と個人的にはそう思っている。けれども、それは決して視聴者にとって都合のいいものではない、一つの家族の生活を我々は見ていたのだ。

 ここまで冗長になってしまったが、以上の説明が、本作が「日常系らしくない日常系」であると感じた所以である。

 

おわりに

 『かくしごと』は、先日最終回を迎えた。終始心温まるファミリー劇場であった。

 ここでは書かなかったが、漫画家としての可久士はコミカルに描かれているので、非常に面白かった。

 リアルタイムでこの作品に出会えてたことに感謝したいと思う。

 

 ご指摘やご感想がございましたら、何なりとコメントでお書きください。

 それでは!

 

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