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気ままに生きます

功績がほしいフェミニスト、隙を与えたVtuber

 お疲れ様です。

 3日連続で投稿しようとしたけれど、ちょっと無理でした…w 改めて毎日投稿されてる方々には、マジリスペクトを感じますね。

 ということで、今回は最近何かと巷で話題の、「VTuber規制運動」について、自分なりの意見をまとめてみようと思います。

 

 

概要

 松戸市のご当地VTuberである戸定梨香が、交通安全啓発のイメージキャラクターとして採用され、自転車の注意を呼び掛ける動画が、7月中旬に投稿された。それに対し、全国フェミニスト議員連盟が彼女の身体的特徴を「女性蔑視」だと批判、これを受けて当該動画が削除された。

 この削除に対抗して、反対派が議員連盟に削除への抗議を展開し、現在活動が進行中である。

 

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出典:https://www.youtube.com/watch?v=2eSdrs9Svvs



 

youtu.be

 

 うーん、いつぞや似たようなことがあった気がするし、自分もそれについて投稿した気がする。

 

yururiyuruyuru.hatenablog.jp

 

VTuber・反対派

 結論から申し上げますと、自分はフェミニストVTuberどちらにも賛成しない、松戸市にもその責任の一端はあると考えている。

 

 全くVTuberを見ない自分だけれど、VTuberを起用した松戸市の革新性に、一定の敬意を表したい。ただ、今回の主題はあくまで「交通安全啓発」という「教育」目的であって、VTuberの普及目的ではないのだ。

 

(反対派の中にVTuberの良さを書かれている方がいたので、それは違うだろうと…)

 

 YouTubeの動画でも、明瞭な言葉遣いかつ字幕にルビが振ってあることから、子どもも対象であること明白だ。それなのに、女の子のへそ出し、胸が揺れ…。アニメを見慣れた自分はそこまで過激だとは思えないけれど、これを子どもに見せたくないと非難する人もいるだろうな、というのが率直な感想である。

 「公」の立場が「教育」としてこれを公表するのは、不相応だと批判されても仕方ないのではないか。

 これを性表現でない主張する反対派がいるが、拙稿*1でも申し上げた通り、表現物に対して抱く感情は人それぞれなのだ。普通の制服ならばまだしも、露出のある格好になると、不快に思う人がいてもおかしくはない。

 民間の企業や個人であれば、表現の自由が保障されている以上、死んでも守るべきだろう。ただ、行政や警察が、さらに教育として扱うのでは、話は変わってくる。別にピーポーくんだとか、「前から車が!」おじさんのVTuberでいい訳で…。

 

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 「普通に警察の恰好をしたVTuberじゃだめなの?」とも思う。交通安全啓発という教育の場で、性を煽る必要はないにもかかわらず、なぜ扇情的ともとれる服装にしたのかが、まったくの謎である。

 すなわち、「VTuberがダメか?」や「性的な表現か?」ではなく、「教育としてふさわしいか?」。ここを論点にすべきだと、自分は考えている。よって、その表現は教育としてはあまりふさしくなく、お蔵入りもやむを得ないのではないか。

 ただ、教育に流行りのVTuberを導入することは、子どもの関心を引き寄せることも期待できるので、是非婦警さんや「前から車が」おじさんなど違う形で作り替えてほしい。

 

フェミニスト

 一方で、一部のフェミニストの方々が言う「女性差別」を理由とした表現規制は、なかなか難しい。拙稿*2を引用すると、「差別を助長する恐れ」という理由での規制は、かえってその差別を強める。むしろ各々の特徴を「個性」として捉えたほうが、多様性な世の中になるのではないか。

 

功績を得る難しさ

 にもかかわらず、一部のフェミニスト表現規制に躍起になるのはなぜだろうか。それは、ひとえに「功績」・「成果」がほしいからではないか。

 功績を欲することは、特段悪いことではない。フェミニズムに限らず、周囲からの支持をより集めるためには、功績が必要不可欠である。

 ただ、特に政治・社会活動に関する功績を獲得するのは、非常に困難を極める

 例えば、フェミニズムについて言及すると、とある企業が「妊娠した女性は強制退職女性にだけ給料が低い」のような、女性に対してだけ不当な扱いをしていたとしよう。しかし、その企業の実態を知り、改善を要求するためには、まずその企業と何らかの関係を持たなければならない。その企業に入社するなりして、不当な差別を経験しなければ、声を上げるどこか知ることすらできない。待遇を改善するためには多くの時間を要する上、限られた人物しかできない。

(それでも、現在はネットで拡散することによって、実態をある程度知ることはできるようになってはいるが)

 条例や法律も然りであり、長年の月日をかけて議会でようやく制定できるのであり、一方で法案が通過できない可能性も孕んでいる。

(そう考えると、当時での男女雇用機会均等法制定は努力の賜物だと思う。)

 このように、政治・社会活動で何かを達成するには、時間・人員を多く要し、尚且つ達成できない可能性も高いのだ。

 

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表現という好都合の的

 だが、表現に対して声を上げるのは、非常に容易である。なぜなら、「自分の目の前にあるから」である。

 社会構造や法整備を変えるには、経験の後に人員や時間を割いて、わざわざ訴訟・議会で議題に挙げなければならない。一方で、表現はどこかで見つければ、その時点で声を上げ、相手が謝罪ないし削除すれば、簡単に成果が出せる。女性差別という最もらしい理由を添えれば、より相手が折れる可能性も強まる。いわば、表現規制は功績を集めるのに効率が良いのだ。

 つまり、一部のフェミニストにとって、今回の件は恰好の餌食である。誤解を恐れずに言うならば、松戸市は彼らに隙を与えたのである。

 

本当に大丈夫?

 一部のフェミニストの方々に言いたいのは、「もうその手法は通用しない」ということだ。いや、内輪では大手柄として礼賛するのかもしれないが、傍から見れば、フェミニズム全体の信用が揺らぎ始めている。本当に彼らの方法で、女性ひいては社会全体が良くなるのかと。

 一朝一夕には社会構造の変革は成し得ないのだから、小手先の功績に逃げるのではなく、より生産的な啓蒙運動なり意識改革なり社会活動なりに徹底すべきではないか。”男女同権”という立派な主義をお持ちであれば…。

 

最後に

 自分は、特段フェミニストを執拗に叩くつもりはない。未だ男女差別の残存する時代に彼らの主張は必要だと思うし、ろくでなし子氏のように興味深いフェミニストもいる。しかし、彼らが現在の状態では、社会は変わらないどころか、彼らへの猜疑心が一層強化され、より実現が遠のくに違いない。それを彼ら自身が気づかなければ、永遠に押し問答を繰り返すだけだ。

 勿論、フェミニストに全ての非があるわけではない。反対派にも同じく的外れな主張をする人がいる。だからこそ、一向に問題の着地点が見つからない。

 両者とも過激にならず、建設的な議論の意義が問われる、重要な局面なのではないか。

 

 何かございましたら、お気軽にコメントお願いします。

 それでは。👋

 

参考文献

Vチューバー起用は「女性蔑視」? フェミニスト議連が抗議の啓発動画、松戸警察が削除(J-CASTニュース) - Yahoo!ニュース

・拙稿 オタクもフェミも的外れ ~爆乳ポスターと性規制~ - ゆるりゆるゆるブログを書く

 

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