※ネタバレ注意です※
10日に満を持して、『シン・エヴァンゲリオン』見てきた。しばらく経った今でも、まだ余韻が残っている。うまく言語化できるか分からないが、それをひたすらに綴ってみようと思う。
【感想】#シンエヴァンゲリオン
— ゆるりゆるゆるツイートする (@yuruyuru_88) 2021年3月10日
声優やシンゴジラやるならエヴァ書け!と、私は庵野総監督に対して度々失礼な発言を繰り返しておりましたが、全て撤回させていただきます。及び一生総監督についていくことを神に誓います。 pic.twitter.com/5NrygpYaDW
ゲンドウとシンジ
本作を語る上で、ゲンドウは絶対に外せない。
アニメ版では伝説の「おめでとう」エンド、旧劇では「気持ち悪い」エンド。そのため、本作は3つ目のエンディングとなる。どのエヴァンゲリオンにも通底するメッセージ性は、「自分と他人の距離感」であろう。
他人が怖い。 だから心の壁を張る。 だから一体化する。
それはシンジ君だけでなく、父のゲンドウも同じであったということが、本作で明らかとなる。
ゲンドウは、幼いころから他人との関わりを避け続けていた。だが、ユイとの出会いは彼のすべてを変えたようだ。
(ユイとゲンドウの関わりは、漫画で詳細に描かれている。ユイ健気でかわいい)
ゲンドウとユイの二人が紡ぐゴリゴリのセカイ系。しかし、その世界の変革は、息子のシンジ君によって阻止される。
成長したよ、シンジ君。
旧劇では人類補完計画の餌食になったゲンドウが、本作でようやく救済された形となった訳である。
同級生らのいる社会
年齢的にも精神的にも大人になったトウジ・ケンイチ・委員長。
まさか出てくるとは思わなかった・・・
無免許ながら医者になったトウジ、自らの技術で貢献するケンイチ、新しい命を育む委員長。死んだ世界の中で、彼らは明日に向かって生きていた。
アヤナミ(仮称)も、彼らとともに誰かのために仕事に励む。 モエー
彼らのコミュニティに曲がりなりにも順応していくうちに、感謝や苦労の気持ちを覚えるアヤナミ(仮称)。 モエー
助け合うこの小さな共同体は、まるで我々の社会の縮図のようで、また私もこの構成員の一人なのだろうと改めて感じた。もっとシフト入れなきゃ。
ミサトさんとかマリとか書きたいけど、キリがないのでここで終わりに・・・
最後に
個人的に、綾波に放った委員長の言葉が未だに自分の胸の中に響いている。
「生きることは、辛いことと楽しいことの繰り返し」
エヴァンゲリオンの完結は、正直悲しい。
また延期だとか言ってたのも、心のどこかで「エヴァは終わらないもの」と決めつけていたのかもしれない。
だけど、いざ公開されて終劇の文字を見ると、やるせなさと脱力感が襲ってきた。すべてが終わった。自分とともに成長してきたエヴァンゲリオンが。
エヴァが終わるのは辛いこと。でも、委員長の言うように、楽しいこともまたあるはずである。
シンジ君がようやく進み始めたのだから、私たちも日々前向きに生きていこう。
エヴァの完結に落胆するのではなく、それを糧にして。
ありがとう、全てのエヴァンゲリオン。
・・・パシャッ