即身仏ってやったことある?
山形県の人口が100万人を割ったそう。私も地方在住として、他人事ではないなあ、と思いつつ。
正直日本全体の人口が減ってるんだから、地方はそのゼロサムゲームに勝つ術がないのでは、というのは置いておいて。
実は私、五本指に入るほど山形は好きな場所なんです。山寺、銀山温泉、御釜、龍上海ラーメン、人面魚、加茂水族館……。今まで色々な名所に訪れましたし、今後行ってみたい場所も山ほどあります。このニュースが入ってきた時も、直近で庄内地方を回っていました。そこで今回は、先日訪れたとある観光名所をご紹介いたします。
山形といえば、何を思い浮かべますか? さくらんぼ、ラ・フランス、米沢牛、あき竹城、ウド鈴木……。
いえ、即身仏ですよね! 当然ですよね!?

即身仏とは、 いわばミイラ化した仏。現存するもののうち半数は山形県に鎮座しています。言うなれば、山形は即身仏のメッカ。(宗教が違う……。)ミイラというと、やはり古代エジプトを思い出します。包帯で全身をグルグル巻きにした、真っ白な物体。でも、日本のミイラはあまり想像がつきません。
そんな即身仏をお目にかかれる名刹、山形県酒田市の「海向寺」。細い路地の坂を登ると、突然古き良き木造建築が現れるから少し驚きます。せせこましい住宅街に紛れて佇む、一見何の変哲もなさそうな寺院。人の好さそうな住職に案内されて、仏堂の中に失礼します。薄暗くしんとした仏間、ほのかな蠟燭の火が灯す”モノ”を見つけた瞬間、私は思わず立ちすくんで動けなくなりました。
そこには、2体の即身仏が、こちらを見定めるかの如く鎮座しておりました。黒茶色の肌は人の形を完全に保っていて、法衣を身に纏う彼らの姿は、修行中さながらであります。ミイラであるはずなのに、不思議なことに現世に生きる誰よりも生命力が満ち満ちているように見えます。重い瞼は未だ瞬きを続け、歯抜けた口は呼吸を止めず、瘦せこけた頬で安らかな表情を覗かせます。まるで、サバンナのステップのような力強さ。これほどまでの畏敬の念に、私は支配されたことがありませんでした。
即身仏とは、修行の一環なのだそう。死後の腐敗を防ぐために、山の中で草木や木の実を食べて露命をつなぎます。その後、土中に潜って鈴を鳴らしながらひたすら読経を繰り返します。鈴の音が止まったら、入定の合図です。すなわち、彼らは決して誰かから強制されたのではなく、入定してもなお現世にとどまり続けることを自ら望んで、世の安寧を今でも願っているのです。
では、なぜあえてミイラになるという手法を用いたのか。それはおそらく、その願いを最も分かりやすく人々に示すことができるからだと思います。経典や仏法やらを見たところで、私たち素人にとってその真髄は到底理解できませんが、彼らの優しくつむった瞼を見つめていると、ただならぬ信念と献身をまざまざと見せつけられます。先人たちも仏のオーラに圧倒されたであろうし、未来の人もきっと同じに違いありません。まさに「そこにいること」で、平穏無事の願いをあまねく伝えることができるのです。
最後の修行に旅立つ道中、彼らは何を思ったのでしょう。ふとした後悔や不安に、足を取られることはなかったのでしょうか。私なら、怖くなって逃げ出すだろうに。命を賭してまで何かに傾倒したことのない私には、決して共感できない彼らの精神の奥底。漫然と生きてきた者は、それを覗くことさえおこがましい。それでも、彼らはそんな私を包み込むように微笑みくれた気がした。数百年消えることのなかった情熱の火を、そっと私の心に移して。
一つの大作映画を見終えた後のような陶酔感と疲労感を背負って、仏堂を後にします。日本海側特有の鋭い夕陽に突き刺されて、思わず目を細めます。琥珀色に照らされた本堂は、やはり街並みに溶け込んでしまって威厳がありません。でも、その地域との調和こそが、垣根なしに人々に寄り添う何よりの証なのでしょう。

真言宗智山派 砂高山海向寺
・4月~11月 9~17時
・11月~3月 9~16時
(毎週火曜定休日)
・拝観料 大人400円 小人200円